廣坂 物語


 廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。

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  Vol−13

   1986年 1/12 全日本選手権
  


 1/12 全日本選手権 
 
 アメリカ、ラスベガスでの世界選手権での大きなカルチャーショックを受けたまま、
 直ぐに全日本選手権。 しかし私も正美も大変大きな”何かを”得た事は、
 間違いは無い。

 世界の多くのドライバーや要人を見る事は出来たが話す機会は殆ど
 無かった。

 そして全日本選手権、私達にとっては忘れる事が出来ない思い出のレース。


 以下はRCマガジンに私自身が投稿したレポート。


































  





  

     

  
























   
   
   
   


  


 





















  
  
  
  
  


 





























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 自作車最後のマシンとなった ALF−11 詳細及びALF−10との比較。

 ボディは同じ ABCアトミック 塗装は ”たかたに塗装”に変更。


   

 ボディピンは、無くさない様に釣り糸でボディに貼り付け。


 リア部のガタを少なくする為に、シャーシの幅を広く設定。リアダンパーの角度も
 変更。リアーのサイド部が広がった為にダンパーの角度を広げてたて方向に
 有効な様にセット。



 ALF−10 ではフロントスタビは上部に取り付け。


 ALF−11 では、少しでも重心を下げる為に、下から取り回し。そしてスタビ
 シャフトは、カーボン製。



 リアースタビはつけない。ダンパーはより有効に効かせる為に、前上がりにセット。


 リアーシャーシの可動部には、ボールを入れて動きをスムーズにした。


 リアーシャフトはグラスファイバーから、カーボンファイバーに変更。



 長い長い夏が終わった。



 全日本チャンピオン...長い長い道のりだった。  ついにやった!
 正美がレースを始めて9年、全日本挑戦5度目にて得た勝利だった。
 勿論、何事にも代えられない嬉しさがあった。しかし現実に戻ると心身財共に
 もう限界を超えていた。暫くは抜け殻の様になり何もする気力が起きなかった。

 10月には第1回のオフロード全日本選手権が控えているが、オフロードは何も
 無い、また現状では財政的にもマシン等を揃える事は不可能だ。こちらのほうは
 参加を断念するしか無いと考えた。

 周囲の皆は大変喜んでくれて仲間達の主催でニュー京都ホテルにて盛大な
 祝勝会を持つ事が出来た。 そして50名以上の参加者が高い会費にも
 拘わらず参加してくれた。 我々がここまで来れたのは本当に周りの多くの
 仲間達の支援があればこそ。 と感謝の気持ちで一杯だった。



 しかし時間が経ち現実の戻ると、これからの仕事の事、多くの新たな借金、
 そして正美の将来の事等を考えると大きな不安ばかりだった。

 全日本チャンピオン...我々にとっては大変大きなタイトルであり、またこの世界
 で大変な栄誉だが、一般の人達の評価は大したものでは無い。ラジコンそのもの
 が単なる子供の遊び程度にしか捉えられていない中、チャンピオンと言っても、
 ちょっと大きな運動会の一等賞位の評価しか無い様に思えた。

 これで今後の仕事が上手く行き収入が増える等とは到底考えられなかった。
 ラジコンのショップでは、レ−ス活動はおろか食べて行く事さえ難しい状況だった
 為に、私は妻と一緒に義兄の経営するファッションバッグの製造も兼業して
 いたが、こちらはブームにもなり大変忙しくなって来た為に、これに専念して、もう
 RCレースは止める事を考えた。


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