廣坂 物語


 廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。

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  Vol−28

  プロへの誘い。

 アメリカツアーを終え5月までの間海外レースは無く、国内で地方デモレースや
 マシンのテスト等を行った。

 そんなある日、マネージャーの文三氏より私に話があるという。大事な事なので
 自宅で話をしたいとの事。勿論正美の事だが、とりあえずは正美を抜きにして
 まず私に話をしたいと言う事だった。

 そして私は初めて文三氏の自宅を訪問した。決して豪邸ではないが大変立派
 な旧家で文三さんにぴったりの素晴らしい家だった。そして奥様に紹介された。
 この奥さんがまた素晴らしい方で、昔のドラマに出てくる様な雰囲気を感じた。

 実は...文三さんが切り出した。 アメリカのあるメーカーより、打診があり、
 正美はプロの選手としてやってみないか? という提案だった。

 現在ではまだ本当にプロと言える選手はおらず、殆どの選手は社員であったり
 何か他に職業を持っている人で、レースの専業はいないと言う事だった。

 そして正美が正式にプロ第1号としてデビューすれば、大きな話題にもなり、
 業界の活性化、そして皆の目標にもなるのでは無いか?と言う事で具体的
 な条件等も提示してきた。 その内容とは? とりあえず2年契約で契約金
 一千万円、月報百万円、勿論経費はすべて負担、そして選手権等では、
 成功報酬が加算、世界選手権では二百万円、その他選手権では、
 五十万円等という、信じられないような提案だった。

 大丈夫なのですか? と問うと文三氏は、勿論受けるとなれば、きっちりとした
 契約書を作成して、これらの約束が間違いなく履行されるように自分が責任
 を持って交渉するとの事。 

 そして、まず私が認めるならば、正美には私のから提案をすればどうか?という
 話だった。 勿論私なら一も二も無く話に乗るが...正美はねえ〜?...
 とりあえずは相談をしてみます。 そして家族で相談して後日に返答する事と
 した。

 その後ママに話をすると、当然の如くそれは乗るべきだ! やっと本当の意味で
 自分達のやってきた事が世間で認められる時が来た。そして念願の家も車も
 持つ事が出来るのでは? と喜んだが、たぶん正美は行かないだろう、と思う
 と言った。
 
 そして正美にこの話を切り出した。正美はほんとかな?と一瞬疑ったが、文三
 さんが、責任を持って交渉すると言うのだから、問題は無いと思う。といった。

 正美は暫く考えたが、やはりやめとく。何故? 自分は折角頑張ってここまで
 くる事が出来た。 そしてもう少し勝ち続けたい。 もし今良い条件の下で
 レース等が出来る様になれば、たぶんもう勝つ事は出来なくなると思う。やはり
 今まではハングリーが勝利を導いて来た。そしてレーサー等は何時までも続け
 られるものでは無いし、自分がレースで通用しなくなった時は他に何もする事
 は出来ない。

 もっとレース以外の仕事等で将来に役立つ仕事を覚えたい。その後の期間の
 方が遥かに長いと思う。その為に今は確かに魅力的話だけれど、受けたくない
 と言った。

 私はたとえ2年間だけやっても、たぶん10年分以上の収入を得ることが出来
 その後はまた新たに考えても良いのでは? と勧めたが、正美は首を縦に
 振らなかった。

 そうか、それではしょうがないね断るしか無いね。しかしママも飯塚氏も、やっぱり
 と妙に納得していたのが私には不思議だった。

 飯塚氏は良く分かりました。やはり正美だ! と褒めてくれた。そしてこの事は
 勿論誰にも話していないし、我々以外誰も知らない。我々も何も聞かなかった
 事にしよう、そしてもうこの話は二度としないと約束した。

 そしてこの話は御法度となったが、多くの借金を抱え込んだ私は、大変惜しい
 と感じたが、考えてもしょうがないので前を見て進む様に考える事と自分に
 言い聞かせた。

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  南紀白浜アドベンチャーワールドでのショー



 大きなポスターが関西域に張り巡らされた。




 和歌山県のアドベンチャーワールドより、ラジコンショーをゴールデンウイークの
 目玉ショーとしてやって欲しいとの依頼があった。アドベンチャーワールドは正美
 達も子供の頃、何度が遊びに行った事がある所で、サファリワールドやオルカ、
 イルカ等のショー等も大変有名で、ましてゴールデンウイークともなれば、大変
 多くの人達が訪れるために、これは非常に良い宣伝にもなると考え引き受け
 る事とした。

 そしていざ会場を訪問して打ち合わせを始めると、かなり大々的に宣伝して
 期間のメインのショーとして、仮面ライダーのショーと2本立てとして開催するとの
 事だった。また事前にはTV等でも多くコマーシャルを入れるとの事だった。

 そして一ヶ月位前には、TVコマーシャル撮影の為に同園を訪れた。開園前
 に、色々な動物との競演の撮影をした。勿論こんな事はお互いに初めてなので
 動物達がどんな反応を示すか?誰も分からなかった。

 殆どの動物はラジコンを怖がって逃げ出した。巨大なサイの群れを追って欲しい
 とのディレクターの要望でサイが集団で逃げるのを、RCカーで追いかけた。
 そして、もっと近く! との要求に追いかけると、深追いすぎて群れの中へ...
 そしてサイに踏まれてしまった。当然マシンはプレスをかけた様に、ぺっちゃんこ。

 次はライオンではどうか? 危険な為に柵のついたジープに乗って、ライオンの
 ゾーンに侵入。 最初は遠くから見つめていた、ライオンが突然マシンに向って
 突進、すぐに逃げるが間に合わず、がぶり! ひとかぶりでマシンを加えて
 逃げてしまった。 係り員が数名で何とか取り返したが、ボディには大きな穴が
 開いていた。(牙の痕)

 何とか色々なシーンを取り終えた。 その後関西方面では短いコマーシャル
 だが頻繁に流された様だった。

 しかし、いざラジコンのショーをするといっても、ただ走行するだけではインパクトも
 無く、1時間も観客を引っ張る事は出来ない為に、何をすれば良いのか?
 色々と考えた。レンタカー等をして欲しいとの依頼もあったが、一日3回のショー
 そしてこれを9日間続けるとなると、とても車等は持たない。

 そこで有志に有料でチャンプに挑戦というコーナー、そしてチーム員たちの模擬
 レース等をする事となったが、ラジコンレース等を知らない人達にはあまり
 インパクトは無いと考えて、大きなジャンプを作りビッグジャンプ、そして見世物
 は、光美と二人で音楽に合わせてラジコンダンスと称して演技をしてみようと
 いう事になった。

 そして光美を東京へ呼び寄せて、荒川のグランドで練習をした。
 約5分間の音楽に合わせて、二人で並んでスピンターンやバック走行、回転
 ジャンプ交差等、色々な荒技を練習した。正美、光美、そして私が3人で
 色々とアイデアを出し、だんだんと高度な技が出来て来た。
 
 ジャンプ台等はアドベンチャーで製作してくれるが、練習では無い為にコンパネ
 や架空のジャンプで練習をした。あとは現場でまたテストをする事とした。
 
 かなりの大技が出来る様になったが、見ている人は殆ど素人で技の大変さは
 分からない、もし失敗すれば笑いものになってしまう為に、あまり難易の高い
 事はやめようといったが、二人は挑戦する! と言って練習を重ねた。

 一番の見せ所は、一周100m位のコースで演技をするのだが、二人で併走し
 真ん中で左右に分かれて外周を周り、中央に置かれたジャンプ台に左右から
 侵入してジャンプの中央(空中)ですれ違い、そして下りのジャンプ台に着地
 をするという技だ、これは真ん中から外周へお互いに左右へ分かれ、かなり
 長い距離を走行して、今度は中央のジャンプ台へ向う為に、二台が同時に
 ジャンプ台に入らなければならない。

 これはタイミングが非常に難しい、オフロードの為に、スピードが一定しない。
 また相手の車は50m以上の逆方向を走行しているために、見る事が出来
 ない。 光美には正美の車を見る事は出来ない、自分の車をコントロールする
 のが精一杯だ。そこで正美は光美に自分のペースで走行しろ、あとはこちらで
 タイミングを合わすという。

 正美は二台の車を見ながらぴったりとタイミングを合わして来る、しかしセンター
 のジャンプ台はかなり高く、また間が抜けている為にかなりの高さで飛ばないと
 上手くジャンプ台に着地が出来ない、その為にかなり早い段階からタイミングを
 合わさなければならない。

 そしてもう一つの難関は、ジャンプ台の空中で交差しなければならない。
 ジャンプ台の幅は180cm、半分とすると90cmの幅しか無い。下手をすると
 空中衝突してしまう。光美はこの時が殆どオフロードを操縦するのは、初めてで
 ジャンプが上手く飛べるのか?が心配だった。練習では低いコンパネしか無
 かったがそれでも、なかなか自分の範囲の90cm内で飛ぶのは難しかった。

 光美の侵入を見て、正美は進路が危なければジャンプを飛ばなかったり、
 横へ逃げたりした。 この時に私は改めて正美の視野の広さ、そして的確な
 瞬間的な判断の正確さを認識した。こんな事が出来るのは世界中でも他に
 いないだろうと思った。
 
 また光美も初めてのオフロードで、大きなジャンプが飛べる事に驚いた、そして
 何よりも二人の息のあったコンビネーションが本当に素晴らしいと感心した。
 小さい時は喧嘩ばかりしていた兄弟だったが、やはり本当の”兄弟”だと思った。

 光美も今までレース等には見せた事が無い程真剣に取り組み練習をした。
 この事が後のオフロード全日本選手権への挑戦のきっかけにもなったと思う。

 ゴールデンウイーク、助手として社員も動員、また京都の仲間達にも応援を
 頼み、アナウンサー及び解説者としてRCマガジン山鼻氏も同行をお願いして
 総勢10名を越える軍団を形成した。 前日より現地に入り民宿で泊まり、
 さながら修学旅行の様相。隣の部屋には、同じくイベント参加の仮面ライダー
 グループが宿泊、これから9日間の合宿となった。

 前日にはジャンプ台等が用意されて問題の見せ場の兄弟の演技の練習、
 ここでハプニング、用意していた音楽は正美が選んだものだが、これは著作権
 の問題で公共の場では流せないとの事、音楽はただ単に流しているだけでは
 無く、これに合わせる様に演技も構成した。その為に音楽が変ってしまうと、
 すべての流れが変ってしまう。

 しかし仕方がないので、アドベンチャー側で用意された、オリジナルの音楽を
 使用して、再度プログラムを練り直して練習。時間もあまり無い中で短期で
 決めなければならない。

 まだまだ完璧では無かったが、とりあえずイベントが始まったらやらなければ
 ならない。一日3回のショーを9日間計27回しなければならない。
 模擬レースや、挑戦レース、正美の単独演技、そして兄弟デュエット等で
 大変多くのマシンが必要となる。そして故障すれば修理しなければならない。
 これはある意味レースより大変な作業だった。

 そして連休初日4月29日、開園となった。ここまで多くの練習を続けて来た
 成果を出す時だ。アナウンサーはアドベンチャー側よりプロのMCそして山鼻氏
 との絶妙の掛け合いで大変面白い。

 しかし第一回のショーでは殆ど観客が来ない。どうしてか? このアドベンチャー
 ワールドは大変広い。そして色々な場所で大小様々なショーや催しが行わ
 れている。少し離れたラジコン場まで、来場者は来なかった。

 最初はまずは練習のつもりで少ない観客の中でショーを行った。兄弟のショーも
 幸か不幸か?あまり上手く行かなかった。そして午後からのショー前には会場
 中にラジコンショー案内のアナウンスを入れて貰い少しづつ観客も集まる様に
 なって来た。

 こうして長いショーが始まったが途中では天気が崩れ雨の為に、ショー会場が
 使用出来ずに他の場所へ遠征に行ったり、仮面ライダーと競演(邪魔しに)
 したりして、何とか9日間を終了する事が出来た。期間の終わり頃には兄弟
 ショーも大変上手く出来る様になっていた。

 知らない人が見れば、何でも無い演技に見えたかも知れないが、RCの心得が
 ある人にはとんでもない事をしていたと思っただろう。
 またこのショー等を見て後にTVへの出演依頼も来る事となった。

 この様な長期間のショーは後にも先にもこの一度だけで、我々にとっても大変
 楽しく思い出に残るイベントとなった。


 仮面ライダーのショーと2大イベントとなった。


 随所に案内が...


 立派な会場が設営された。


 園内各所で”出張デモ”を行う兄弟。 送信機に注目。 普段は二人とも
 スティックタイプだが、ホイラーでも普通にドライブ出来る。



 演技の打ち合わせ。


 そして本番、皆を楽しませた。



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  リーディレース (オーストリア) 5月19日〜31日

 オーストリアの小さなリゾートタウンで開催された、リーディレース。


 楽しいイベントが終了し、次はすぐにオーストリアにてリーディレースのヨーロッパ
 シリーズに参加する事となった。リーディレースはオフロードだが、この期間に
 EFRAイベントとして、1/12ヨーロッパ選手権、そして新しいカテゴリーとして
 頭角を現した、1/10のEFRAグランプリが同時期に開催されるとの事。
 いわゆるRCレース週間といった所。

 我々は1/12のヨーロッパ選手権には参加資格が無い為に、観戦に行き
 その次に行われる、1/10のEFRA GPには参加出来る為に、アソシの
 RC10Lで参加する事となった。勿論1/10のレースは初めてとなる。

 会場はオーストリアの小さな町のリゾート地で山あり、湖ありで大変良い所で
 ある。日本からは直行便が無い為に、スイスのチューリッヒで飛行機を乗り換
 えて、町の空港まで行く事となった。この飛行機は大変小さな飛行機で通路
 の両側に9席の一列ずつの客席で18名しか乗れない。操縦席との仕切りも
 無く、前が丸見えと言う珍しい飛行機。機長と副操縦士の二人しか乗務員は
 いなく。副操縦士が乗客にお茶をサービスしてくれた。

 アルプス?の山間を縫って現地に到着。そこからレンタカーでホテルへ向う。
 今回は、正美そして萱野聡史、飯塚氏、そして私の4名だった。ホテルは
 湖のほとりの大変綺麗なリゾートホテルだった。

 今日は、まだ何も予定が無い為に、ホテルの周りを少し探索しようと、4人で
 出かけた。そして近くでミニゴルフ場があったので皆で少し遊ぼう!と始めた。
 勿論、我々はゴルフ等の経験は誰も無いのだが、わいわいと楽しんでいると、
 近所のおばさんが出て来て、ここは大変静かなリゾート地なので、あまりうるさく
 騒がない様に! と注意された。 我々は、すみません、と謝った。しかし少し
 の笑い声がうるさいとは、一体どんなところなのだろう?

 そして翌朝いきなりハプニング、朝食を終え部屋に戻った所、飯塚氏より
 部屋に電話があり、盗難にあったとの事。朝食中の僅かな時間で部屋の中に
 置いてあった。カバンを盗まれたとの事。中にはパスポート、航空券、現金等
 ごっそりと持っていかれたそうだ。勿論ホテルマネージャーに話をしたがが、どうにも
 ならない。文三さんは、私の油断だった、この辺りは治安は良いと思っていた。
 
 しかし皆は心配しなくても良いよ。すぐにすべてを手配をするから...ただ、
 パスポートは首都のウイーンの大使館まで行かなくてはならない為に二日程
 留守にしなくてはならないので、その間が少し心配だがパパは大丈夫だね?
 はい、何とかやってみます。

 この間は1/10のレースがあるが、これはおまけなので、オフロードまでには
 帰って来て頂ければ大丈夫です。 そうね、たぶんそれまでには帰れるよ。と
 出かけていった。

 さすがは海千山千の兵、大きく動じる事無く素早く処理をして。私に今後
 海外等ではどんなトラブルが起きるか分からない、そのときの対処等も教えて
 貰った。

 近くのコースにて開催された、EFRA グランプリ 1/10のレース
 我々には”おまけ”レースの為に、リラックスして参加。


 メンバーは世界戦を思わせるそうそうたるもの。


 正美は3位となった。



 1/10 レーシング レース結果 3位となった。


 25日からは、オフロードリーディレースの開始となった。
 参加者は、2WDでは80名、4WDでは120名もの参加となった。こちらでは
 EFRAルールで行われる為に、6セル5分のレースとなる。

 コースは常設コースでは無く、荒い芝の広場に設置された特設コースとなった。
 我々は芝のコースでのレースは初めてで、セッティング等はよく分からなかったが、
 物凄くグリップが高くコーナーでハイサイドを起してしまうのには少し驚いた。

 そしてレースが開始されるとどんどんと芝が削られて、ギャップが出来て来る。
 基本的にコースのメンテが出来ない為に、芝の根が無くなると大きなギャップと
 なる。これを上手く避けて走行する事が必要となる。

 レースは、ここでもやはり、正美とクリフの戦いの様相で、2WDでは正美が優勝
 4WDではクリフの優勝となった。

 レース会場は周辺はリゾート地の為に観客も大変多く、レースも非常に盛り
 上がった。

 そしてレース終了後に主催者の一人が私に、正美は泳げるか?と聞いてきた。
 私はなんの事か良く分からなかったが、正美は泳ぐことは出来ると答えた。

 そしてトロフィの授与等表彰が終わった途端に、周りの皆が一斉に正美を取り
 囲み、そして担いで近くにある湖へ掘り投げた。勿論正美も私も何も聞かされ
 て居なかった。いきなり掘り込まれたので、時計も財布もびしょぬれとなった。

 これが、この地方の祝福の慣習だ、と主催者がいった。その後多くのドライバー
 が水の中へ...大きな歓声の中でリーディレースは終了した。


 コースは芝の路面に設置された。


 2WDは、RC−10GX


 真剣にレースを見つめる、正美。


 2WDクラスでは、TQ、優勝。


 表彰式の後、突然に湖へ投げ込まれた。 祝福の儀式?


 その後次々と犠牲者が...



 2WD レース結果



 4WD レース結果


 オーロッパでのリーディレースが終了し、5月31日に帰国。そして一週間後の
 6月6日今度はプレワールドの為に、オーストラリアへ向って出発した。


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 ワールド タイトル インビテーショナル レース (オーストラリア)

 6月10〜12日


 6月6日〜15日

 9月に開催される、オフロード世界選手権に先がけ、世界のトップドライバーを
 招待して、さしずめプレワールドといったレースが開催された。昨年オーストラリア
 選手権が開催されたコースだが、レイアウト等も少し変更された。
 そして世界選手権規定により、同じコースで開催する時は、逆周りとする事と
 なった。 

 今回のレースはレースの結果より、本戦に向っての様々なテスト等が主な
 目的だった。 まず環境的には、オーストラリアは南半球の為に季節が日本と
 反対となり、これから寒くなり9月は春となる、丁度今頃の季節が9月とほぼ
 同じ位となると言う事だった。

 そして私は今回始めてマシンの製作に取り掛かる事が出来る事となった。
 しかし一からすべてを製作するには危険過ぎる為に、現在の870Cのパーツ
 を流用して、プロトマシンを製作する事とした。

 勿論この時点ではまだ各部のパーツのテストで、現行のマシンにパーツ等を組み
 込みテストをする事とした。

 今回のライバルは、やはりシュマッカーである。CATに対抗するには、まず重量
 の軽量化、駆動系の軽さが一番のポイントだと考えた。とにかくCATは軽くて
 非常に速い。5分間レースでは、効率が大変重要となる。その為に駆動ベルト
 をCATと同じ2mmとし、材料もケプラー繊維や、柔らかいゴム、またウレタン
 ベルト等も用意して色々とテストをする事とした。

 またCATはサスアームが短くてまたジョイントが伸縮するタイプの為に、ギャップ
 には強くない。オーストラリアのコースでは、ギャップが出来やすい為に、私は
 より有利にする為にロングサスアームの採用を考えた。

 これはアソシも同じ考えで、アソシも世界選手権にはプロトを導入するという
 事でやはり同じ様に、クリフが色々なパーツ等を持ち込みテストをする事とした。

 アソシでのプロトは、主にロングサスアーム、そしてステルスミッション、スリッパー、
 ダンパー等となった。

 勿論これらはライバルには秘密で、主なパーツ等はレースには使用せずに、
 前後の練習時にテストをする事とした。 また2WDではクリフが注目を浴び、
 4WDでは正美が皆の注目となる為に、主要なテストはあえて、お互いに交換
 し、2WDは正美がテストをし4WDはクリフがテストをして、周りの目をそらせる
 作戦も取った。

 レース前3日、レース後2日に様々なテストをお互いに繰りかえし、かなりの
 手応えを得る事が出来た。そして本戦にはお互いにプロトマシンで参加する
 事とし、本戦ではヨコモ、アソシ合同チームにて、ピットテントを確保して、一切
 の取材や、チーム外の人には公開しない事とする事になった。

 レースでは勿論通常のマシンで参加。奇しくも2WDクラスでは正美がTQで
 優勝、4WDクラスでは、クリフがTQ、優勝という面白い結果となった。

 決勝レースでは、雨が降りだしたが、レースは続行され、4WDクラスの決勝は
 泥の中...時間と共にマシンに泥が付き、どの車が誰の車か全く見分けが
 付かない様な状態だった。

 そして世界選手権では、約2週間もの間、現地せ生活をする事となる為に
 周囲の環境等の調査も大変重要となる。特に食べ物には一番神経を使う。
 私も正美も常にご飯(お米)を食べ無いとパワーが出ない。海外に行った時
 は一番に日本レストランや、スーパーで日本食が入手出来るか?等をチェック
 する。現地で入手出来れば良いが、難しい時は日本から持ち込みや、事前に
 送る事とする。

 この食事の費用も馬鹿にならない、これらは殆どが自費となる為に、長い旅に
 なると、10万円以上もかかる事もある。

 今回は幸運な事に、近くに日本食のスーパーがあり、またホテルでも自炊が
 出来る設備がある為にママに同行して貰い食事の世話をして貰う事と決めた。

 レースも無事終了し今回はアソシとの連携も大変上手く行き、お互いのマシン
 のテスト結果も大変良好で世界選手権への手応えを感じる事が出来これから
 の約二ヶ月で世界戦プロトを完成させなければならない。 私に取っては初の
 オフロードのマシンでの世界へのチャレンジで、多くのアイディアを取り込んで、
 考案したが、従来と違って一台のみを製作すれば良いのでは無く、多くの選手
 にサポートしなければならない為に、パーツ等の準備も大変だった。

 特にまだ手作りパーツも多く、時間が無い中でのやりくりは困難で、アーム等は
 私の親戚で樹脂加工をしている所で、無理やりお願いして製作してもらう事も
 あった。 多くの友人達も協力をしてくれた。



  

  

 決勝レースは雨の中。


   

 シドニー在住の日本人の子供達が、応援に駆けつけてくれた。


 地元TVのインタビューを受ける、ワールドチャンプ。


 2WDは正美、4WDはクリフ、とお互いに勝利を分け合った。






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 1/12 全日本選手権 香川県観音寺 7月28日〜30日

 オフロード世界選手権用のプロトタイプのプランもほぼかたまり、本格的な製作
 に取り掛かり、また谷田部のコースも大変良くなりテストは順調に進行して
 いた。

 そんな中今度はオンロードの1/12全日本選手権の参加となる。昨年は、
 世界選手権と日程が重なった為に、全日本選手権には参加出来なかった。
 全日本選手権に参加するには、予選を通過する事が必要なのだが前回から
 は、全日本チャンピオンはシードとなり、予選は必要無くなった為に、正美は
 予選無しのシードとなった。その為に今年は殆ど1/12のレースには参加
 していない為に、少しの不安があった。

 そして今回は良きチームメイトでありまたライバルでもあるクリスチャン・ケイル
 がドイツより来日しレースに参加する事となった。手強い相手である。

 ケイルは初の来日の為に、我々と行動を共にする事となった。彼は日本の暑さ
 と長距離ドライブでかなり、疲労していた。


 






 

 EFRA より、ケイルの全日本選手権参加の承認。






   


   



  

  




   



 





















   


    
    
    




     



    
    





   

 





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