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 廣坂 物語 
 History of the Hirosaka family and Masami.


 廣坂 正明 及び 正美 の生い立ち、歴史を記録します。

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   Vol−122


 REEDY 引退 最後の訪日  


 私の師匠とも言える、マイク・リーディ氏がレースの一線から退かれる事となり、
 訪日に当たってパーティが開かれた。

 1985年アメリカラスベガスでの1/12の世界選手権で初めて正美を見初めて
 ヨコモ、アソシエイテッドに推薦して頂き、その後全くの素人の私達を世界チャンプまで
 導いて頂いた恩師です。

 しかし最近は体調も優れず、一線から退かれる事を決心された様です。
 モーターの神様として、もう十分過ぎる程の功績を挙げられたと思います。










   






  私のヨコモより退社  


 リーディ氏の引退表明を受け私もヨコモを退社する決心をしました。

 入社して17年主にレース部門を担当し多くの実績を挙げてきたつもりだが近年
 はレースでの結果が業績に影響する事もだんだん少なくなり、レースの結果が重要
 ではなくなり、私の存在価値も無くなって来た様に感じ退社する事を決心した。
















  1991年 RC−10 MASAMI SPL.  


 
1989年 世界選手権ではステルスカーを使用し優勝する事が出来たが、
 その後のレースでは市販車でのレース参加となった。

 アメリカでのレースに備えて7セルが使用出来る、カーボンシャーシに少し手を
 加えオリジナルカーとした。

 このマシンで1991年のアメリカでのREEDY RACEで優勝する事が出来た。











 

 
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1990年 オフロード 全日本選手権では、RC−10 AXを使用
















 

 

 

 
 






















  1999年 1月 リーディレース in USA   


 リーディレース in USA 

 
今回で4回目の挑戦となった、リーディレース。 ある意味では世界選手権
 より優勝するのは難しいと言われているこのレース。過去3回の参加でも、正美
 は勝つ事が出来なかった。

 このレースは、タイムレースでは無く、すべてが決勝レースの様に着順で競い、
 2WD、4WDの両方での着順ポイントの合計で総合順位が決定される。

 正美はラップタイムでは、誰よりも速く走行する事が出来るが、常々練習では
 殆どライバルがいない為に、一人で練習する事が多く、競り合い等はあまり
 得意では無く、レースではいつも先行逃げ切りが、正美の勝ちパターンとなる事
 が多くあった。

 リーディレースでは、グリッドでの同時スタートで、スタートポジションは各ヒート
 毎に変る、その為に、ヒートで1位ゴールする為には、多くの選手と競り合い
 そして抜いていかなければならない。 正美のあまり得意ではないレースだ。

 過去のレースではいつも、ベストタイムでは速いのだが、競り合いでクラッシュを
 したり、抜け出せなくて、結局は良い成績を出す事が出来なかった。

 競り合いは通常のレースでも非常に重要な為に、昨年はチームメイト等と競り
 あったり、追い越しをする練習を重点的にするようにした。

 そしてレースでは、今までは早くトップに立とうとして、クラッシュ等をするケース
 が多かったが、今年は慌てずゆっくり余裕を持って、タイムレースではない為に
 レースが終わるまでに先頭に行けば良い...とじっくり構えて、少しずつ順位を
 上げて行く戦法を取った。

 そして作戦通りに殆ど全てのヒートでトップを取る事が出来、念願の優勝を
 する事が出来た。 そして世界選手権全てのタイトル、そしてリーディレースの
 タイトルをも、同時に独占する事となり、世界でのチャンピオンと言えば、正美
 しかいないという事となった。 そして、周りからはRCキングと呼ばれる様に
 なった。





              


    

   
   
    
    
    



  
つづく....


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